青の箱庭

ティリエリリカ・リキアルネ


 カランカラン。

 音が鳴った。扉に設置した、呼び鈴の音だ。せっかく、いい感じに思考の海に潜っていた意識が、人間らしい反応、と言うか応答のできる域まで、強制的に浮上させられた。

「こんにちは。仕事の時間ですよ」

 呼び鈴に連動させていた伝信石が映し出したのは、数年前から雇っている、副業の助手だ。ややふくよかな体型に、糸のように細い目が特徴的なこの青年助手も、本業は別にある。確か、穀物の改良を研究する植物学者ではなかっただろうか。そんな私の本業も、魔鉱石の謎を解く研究者ではあるのだが。

「……もう、そんな時間か」

 思わず唸れば、映像越しに助手が頷く。

「はい、もうそんな時間ですよ。どうせ先生いつも通りにその辺、散々にしてるんでしょ。片付けるのも手伝いますから、開けてくださいよ」

「決めつけるのは、良くないと思う」

 ぼやいたが、相手の方が一枚上手だった。

「おや、では僕のお手伝いは要りませんね?」

「ぐっ……」

 実際は、几帳面な性格のこの助手が片付けを手伝うと、書類や記録の紛失が大幅に減る。つまり、私個人としては認めたくないが、私は整理整頓が下手なのだろう。

「あーあー、またいっぱい書き散らして」

 渋々、研究所の扉を開けると、助手は私の机の上を見て嘆息した。

「ちょうどいいところだったんだ」

 言い訳じみた返答になったが、事実である。ちょうど、ひらめきが舞い降りたように感じたから、思考の海奥深くまで、追いかけて潜っていたのに。

 過程を書き残したメモが、机の上いっぱいに散らばっている。助手はそれらを斜め読みすると、さっと三つの山に分け、それぞれをファイリングした。

「大体ですけどまとめましたので、後でご自身で、整理し直してくださいね」

「お前、本当に植物学者なのか、私は甚だ疑問だよ」

 魔鉱石の加工に高度な技術が必要となる理由についての考察、魔石の成長に関わる因子についての推察、ついでに陽燈石の改良についての走り書き、それらを並行して書き殴っていたメモの束である。分類など、書いた私ですら、時間をかけて行う予定だったものだ。この助手は、本当に底が知れない。

「何を変な顔しているんですか。こんな変態じみた所業を繰り広げておいて」

 知らぬは本人ばかりなり、ということだろうか。幾つも並行して考え事を進める私のことを変態と言うのであれば、それを瞬時に読んで理解、分類するこの助手とて、相当な変人だと私は考えるのであるが。

「それより、仕事ですよ」

 この場合の仕事とは勿論、本業の研究ではなく、私たち二人に共通した副業の方である。とても大切な仕事だと、頭では理解しているが、何せ重労働でもある。私の眉間にシワが寄るのは、許してほしいと思う。

「ちゃっちゃと済ませて、おやつにしましょうよ」

 助手を追って研究所のすぐ近くにある浮遊石へ向かう。どうして私はこんな場所に研究所を作ろうと考えたのかと、いつものように後悔しながら。おかげで、この副業では、私が一番の責任者だ。

 ここ、カルシアーデを蒼天箱庭たらしめる重要な構造物、浮遊石。浮遊という名前から、蒼天箱庭を空中に浮かべているのが主な役割であると、想像するのは難くないだろう。

 その通りである。都市を丸々一つ、宙に浮かべるような魔石だ。ついでに言えば、浮遊石は碧海箱庭でも重要だ。海中や海底に点在する都市を水圧から守るには、浮遊石が必須となる。

 ここまで言えば、お分かりだろう。浮遊石とは、重力を操る魔石なのである。当然、その操作には繊細なバランス感覚や綿密な計算が必要とされ、定期的なメンテナンスも一般人には任せられず、私たちのような研究者が行なっている都市が多い。

 まさしくそれこそが、この副業の正体である。浮遊石の定期的な調整と点検。これほど神経をすり減らす仕事も、あまりないのではなかろうか。何せ失敗すれば、文字通りカルシアーデの全てがついえてしまう。その精神的重圧に慣れる日は、まだ来そうにない。

「おやつばかり食べていると、いつまでも痩せないぞ」

 この助手がおやつの話をするのは、ついうっかり食事を忘れる私のことを気遣ってのことだとわかっていながら、からかう。彼が太っているのは、改良した穀物を試食する機会が多いからだ。

 けれど、今だけは。

 もう少し、甘えさせてほしい。