短編集

紫水晶の瞳持つ占い師


「さぁて今日は、吉が出るか、凶が出るか」
 ニヤリと笑いながら、体格の良いドワーフの男性がコインを弾く。あれはとても有名な、貨幣価値のない、純粋な占い用のコイン。表には太陽、裏には月が刻まれている。一般には、太陽が出れば吉とされる。
 戦士の男性がコインを弾く側で、おそらくは精霊術師なのだろう、森エルフの女性が真剣な眼差しでルーン石からのお告げを読み解こうとしている。彼女が行ったのはシングル・オラクルと呼ばれる、石を一つだけ選ぶ占いの方法。ルーン石には、それぞれ意味と力のある文字が刻まれており、その意味を読み解けばお守り代わりになるという。
 私がこの騒がしい『塔の迷宮』の入口まで来たのは、ここに凄腕の占い師が現れたと噂を聞いたからだ。別に迷宮に挑戦して財宝を獲得したい訳でもなく、ましてや迷宮を踏破して名誉が欲しい訳でもない。
 私はただ、占いというものに興味があっただけだ。吉凶や未来、悩み事までをも読み解く占い。果たしてそれは、私の不安にも応えてくれるのだろうか、と。
「それは難しいでしょうね」
 不意に喧騒が遠のき、落ち着いた声が聞こえた。
「貴女は、その気持ちに真剣に向き合おうとはしていませんから。問いが無ければ、答えの導きようがないですよ」
 慌てて周りを見回すと、不思議と色が褪せて見え、誰も彼もが動きを止めている。そんな迷宮の入口となっている広場の奥まった外れに、唯一鮮やかに映ったのが、金糸の装飾に縁取られた紫色の被り布だった。
 私がその紫色を認識した瞬間、ドッと音と色とが舞い戻る。いや、耳元でうるさいのは私の鼓動。目の前をチカチカと横切る光は、私が倒れる前兆か。
 瞬きを三つ、そこは既に塔の入口ではなく、最上階。迷宮主の領域で、私はそっと息を吐き出す。
「不思議な、ヒト……」
 チラリと見えたのは、近辺では見ることのない、浅黒い肌。ゆるりと弧を描く口元。左肩を飾る、太陽や月や星を象った留め具。はらりと被り布からこぼれていた髪は底なし沼のように黒く、艶めいていた。
 ああ、まだ、胸の音がうるさい。たった刹那の邂逅で、あの謎めいた誰かは私の心を雷のように打ち据えた。
 目を閉じれば、鮮やかな紫色が浮かぶ。
「私の、聞きたい問い?」
 問いがなければ、答えも導けないと、言われた気がする。では、私が知りたいことは、あるのだろうか。
 占いを行う探索者たちを見て、興味を持った。だから、種類や方法を、観察して調べた。
 なぜ、私は占いに興味を持った?
 それは、漠然とした不安を抱えていたからだ。そのもやもやとした気持ちを、言葉にもできず、胸の奥で持て余していた。
 気が付けば、一人、塔の上。日がな一日、下を見て過ごしていた。様々な色を纏ったヒトが、塔を登る。けれど皆、肌の色は押し並べて明るい色。木の幹を焦がしたような暗い色の肌は、私の他には見たことがなかった。そう、先刻までは。
 私ほどではないにしろ、浅黒い肌のヒトを見て、私はとても驚いて、そしてほっとした。けれど、それがどうしてなのか、やはり答えは出ない。
 私は何を思い、何を求めて、塔から下を見下ろしているのだろう。塔を誰かが攻略したとき、私はその人をどうするつもりだった?
 ずっと、ずっと前から、思考を放棄していた。だって、誰もここまで、来られないから。そう、誰もここに来てはいけないと、決めたのが。
 頭が内側から殴られているかのように、音がグワンと響く。思わずよろめき、肘掛け椅子に倒れ込んだ。
「待ち人は、もう来ない」
 私自身の声が、遠い。視界が滲み、揺らぎ、全てが闇に沈もうとして、
「いいえ、来ますよ」
 優しい声が、それを阻む。
 目にも鮮やかな紫色の被り布を、星明かりのような飾りで留めていた。赤い石の使われた額飾りは、この辺りでは見ない装飾品だから、とても奇妙に感じられる。明るい赤色は、浅黒い肌によく映えた。上着はよく見かける生成色であったが、太陽のような明るい布と、夜空のような暗い布をゆったりとケープのように羽織っており、そちらの方が印象に残る。布は太陽や月、星を象った留め具で左肩に留められており、とても目を引いた。太陽と月と言えば、ケープの留め紐だろうか、左右に長く伸びた布にもそれぞれの装飾がぶら下がっている。布を贅沢に使ったズボンは昼間の空の色。足下は被り布を思わせる、鮮やかな紫の布靴。
 全体的に布をふんだんに使っており、異国を思わせる出で立ちである。ここの服装は、迷宮に挑戦するのに動きを阻害しないよう、体にぴったりと添うようなものがほとんど。むしろ体の線を隠すような服装は、初めて見た。
「大丈夫ですよ、夜エルフのお嬢さん。貴女はちゃんと、ご自身の気持ちと向き合いました」
 声の主は、そう言って微笑む。
「さあ、今こそ占って差し上げましょう。貴女が真に待ち望んでいた相手が来るまで、貴女の問いに答えましょう」
 ゆるりと弧を描いた口元。赤い石の額飾り。底なし沼のような、漆黒の髪を留める銀の髪飾り。けれど何よりも、私の目を捕らえて離さないのは。
 夜空の星のように輝く、紫水晶の瞳。
「いいえ、必要ないわ」
 凄腕の占い師に、もう用はない。私はその瞳の煌めきで、答えを得た。
「このままじゃ、待ち人なんて、来るはずがないもの。私から、会いに行かないと」
 私が塔にいたのは、塔が迷宮と化していたのは、私の肌の色を恐れた人々の気持ちに、私が無意識に応えていたから。お互いに歩み寄ることもなく、恐怖の応酬を繰り返していれば、私の望む『片割れ』が現れるはずもない。
 それに、この占い師は既に私の望む答えを口にした。
「ありがとう、占い師さん。アナタは、私の待ち人は来るって言ってくれた」
 恐怖に濁ることなく煌く紫水晶の瞳は私を射抜き、私の目を覚ませた。
「だから私も、探しに行けるわ」
 もう、私が塔に引きこもることも、ないだろう。

  ◆ ◆ ◆

 塔の最上階、残された占い師は、ひょいとかがんだ。床に散らばる、キラキラと輝く宝石たち。全て、あの夜エルフの少女がこぼした涙から生まれたものだ。
「ふふ、お代も確かにいただきましたよ」
 迷宮主のいなくなった迷宮は、もう新たに障害を生み出すことはない。いずれ、探索者たちに踏破されるだろう。
 拾い集めた宝石を小さな革袋に仕舞い込んだ占い師の姿が、段々と薄れていく。
「さて、次はどこへ行きましょうかね」
 そんな一言を残して。